[5話真っ最中]



(冷たい瞳が、私を見下ろしている……)






(これは……母上の瞳だ……)








広い広い城の中、
中庭へ続く長い廊下の隅にそれはうずくまっていた。

年の頃は2つ3つといったところか。
長く伸びた前髪で表情は見えないが、
ぽたぽたと止め処なく床に落ちる雫と小さな水溜りが、
その少年がずっと泣いている事を物語っていた。

廊下を通る人は、皆一様に
声を殺して泣く小さな少年を見ないようにして、足早に通り過ぎて行く。



一刻ほど経っただろうか、辺りがほの暗くなってきた頃
きちんとした身なりの、烏帽子を被った青年が少年の背後で足を止めた。

「葛原?」

葛原と呼ばれた少年には、探しに来てくれる人も迎えに来てくれる人もいなかったが
その声には心当たりがあった。

「と……父様……?」

おそるおそる振り返る少年を、青年が力強く抱き上げる。

「どうしたんだお前、こんなところで。どこか怪我でもしたのか?」

くるくると葛原の体をまわしてあちこちを確認すると、
心配顔だった青年は、笑顔を見せて葛原の顔を覗き込んだ。

「何かあったのか?」

その瞳は、温かかった。

「母様が、部屋に居ると邪魔だから、どこかに行きなさいと仰いました……」

少年がありのままを告げると、一瞬、青年の視線は少年からはずれて
暗い影がその瞳にかかったのを少年が確認するより早く、
少年の顔は、青年の肩に当てられていた。
そっと抱きしめられた少年の頭を、青年の手が繰り返し撫でている。

「そういう時はな、私のところに来ればいいんだよ。私が忙しい時も、加野姉様が遊んでくれる」

そう言って、葛原を覗き込む、優しい茶色を湛えたあたたかい瞳。

それは、母や、母の周囲の女官達から冷たい目でしか見られた事のなかった少年が
その生涯をかけて、手に入れたいと思った唯一のものだった。



(………………昔の夢……か)

ベッドから半分体を起こす。辺りは薄暗く、シンと静まり返っている。
小さな窓から、月の光が差し込んでいた。

(まだ夜中か。まいったな……)

葛原は、もう眠れそうにはなかった。
月明かりの差し込む窓辺に顔を寄せ、彼は懐から大切そうにガラス菅を取り出した。
両手で包み込めるほどのサイズのそれを、そっと月の光にかざす。

そこには、彼が唯一手に入れたかったものが入っていた。

液体の中を漂うそれは、もう優しく微笑みかけてはくれないけれど、
それでも、その温かい茶色は間違いなく、この瞬間、彼だけのものだった。


………………彼がその生涯を終えるまで、あと十日の夜の話……