
第4話 緑の丘
スープ
クツクツと、お鍋が音を立てている。
刻んだじゃがいもをそうっと鍋に入れてから、ちょっと考える。
3人でこの量はちょっと多かったかな……。
デュナとスカイを見送ってから、まだ3日しか経っていない。
にもかかわらず、なんだかもう随分長いこと2人の顔を見ていないような気がしてくる。
台所には私1人。
フローラさんには、裏の庭でパセリを取ってきてくれるようにお願いしてある。
立場上、私がフローラさんを使うのはおかしな気もするのだが、
こうでもしないと、彼女は大人しくしていてくれなかったし
何より、何かを頼まれたときのフローラさんは本当に嬉しそうにするのだった。
「ラズちゃん〜、葉っぱ取って来たわよ〜♪」
フローラさんがうきうきと戻ってくる。
葉っぱと言われると、何だか雑草みたいだなと思いつつその葉を受け取る。
それはパセリではなかった。
ああ、うん。確かに葉っぱだ……。
「どう? それで合ってるかしら??」
フローラさんがふんわりと微笑む。
ぱあっと周囲を華やかに包む笑顔を前に、どう返事をしたものか一瞬迷う。
自分で取りに行く方が早くて確実ではあったが、夕飯の準備が終わるまでもう少しかかる。
それなら、もう一度お願いしておく方が、
夕食の支度完了までフローラさんを足止めできるかな……。
「え、ええと……この葉っぱの、もうちょっと右の方に、
葉の部分がこう、もしゃもしゃっとした草がありませんでした?」
「まあ……。これじゃなかったのねぇ……」
あからさまにしょんぼりとしてしまったフローラさんに、掛ける言葉を探していると
彼女はパッと顔を上げた。
「待っててね、ラズちゃん、すぐ取ってくるわね〜♪」
元気良く出かけて行こうとするフローラさんの背に
「あ、そんな急がなくていいですよっ、ゆっくり行って来て下さいーっ」
と、慌てて声を掛ける。
パセリは、料理の最後にパラパラと刻んでかけるだけのつもりだし
食事の支度が完了した後で十分間に合う。
むしろ、その方が嬉しいくらいだ。
フローラさんが戻る前にとテーブルセッティングに取り掛かる。
いつもなら、こういったことはフォルテにお願いしてしまうのだが、
フォルテはあれ以来、部屋に篭りがちだった。
こういう時って、どうするのが1番いいんだろう……。
フォルテの傍に居る方がいいのか、
それとも、そっと1人にしておくほうがいいのか、私には分からなかった。
フォルテは、傍に居てとも一人にしてとも言わないし、
なるべく、私達の前ではいつも通りに振舞おうとしているようだった。
そんな風に無理をさせるのがいい事なのかどうか。
フォルテが泣きたいのか、泣きたくないのかという肝心の所が分からない。
食卓に料理を並べる。
野菜たっぷりのミネストローネを注ぎ分けて、やはり作った量が多すぎたことに気付く。
明日はこれでリゾットかパスタにしよう……。
フォルテを呼びに行き、部屋の扉をノックしようと、軽く手を握り構えた時
扉の向こうからかすかな嗚咽が聞こえた。
……やっぱり、1人だと泣くんだ……。
そういえば、私もこの家に来てすぐの頃は毎日泣いてばっかりで
フローラさん達を随分困らせてしまったっけ……。
あの時はどうだったかなぁ。
泣きたくて泣いていたのか、泣きたくないのに泣いていたのか。
まったく思い出せないや……。
8年ほど前の出来事が、今の私には果てしなく遠い昔に思えていた。
ほんの少しの躊躇の後、
聞こえなかったフリをして、夕食に呼ぶ。
「フォルテー、ご飯だよー」
幸い、フォルテは私達の前ではいつも通りに振舞おうとしてくれるので
ご飯を食べないということはなかった。
食欲は……やはり落ちているけれど、なるべく食べるよう努力してくれている。
「……はーい」
1拍おいて、扉の向こうから、
声の震えを精一杯押し殺したような
小さな返事が聞こえた。
「今フローラさんがパセリを取りに行ってくれてるから、ゆっくり降りておいで」
なるべく普段と変わらない調子で声を掛けて、階段を下りる。
台所へ入ろうとしたところでフローラさんと鉢合わせる。
「ラズちゃん、これかしら〜♪」
フローラさんの掲げた草は、やはりパセリではなかった。
「い、一緒に取りに行きましょうか」
「あらまあ……これも違ったのねぇ……」
パセリとは似ても似つかない雑草を手に、しょんぼりとうなだれるフローラさんを促して、
裏口から庭へ出る。
普段、フローラさんはパセリをパセリと認識することなく食べているのだろうか……?
これがパセリですよ。と裏庭を出てすぐに見つけたパセリを摘んで
軽く説明をしてから家に戻ると、フォルテがそろりと降りてきたところだった。
3人で囲む食卓。
摘みたてのパセリの香りが漂うミネストローネには、粉チーズもたっぷり振り掛けてある。
まだ湯気のあがるそれは、フォルテやフローラさんが好む、甘めの味付けにしてあった。
しかし、スープを口にしたフォルテから感想が出ることはなかった。
「まあ、ラズちゃん、このスープおいしいわねぇ〜♪」
フローラさんからはいつも通りの反応。
彼女は、例え料理が大失敗していても、美味しい美味しいと喜んで食べてくれる。
最初はお世辞なのかなと思っていたのだが、
どうやら味が分かっ……………………ええと、その、寛容な味覚をお持ちのようだった。
それにしても、フォルテの目が赤い。
瞼もぽってりと腫れて痛々しかった。
「フォルテちゃん、おめめが真っ赤ね〜。うさぎさんみたいよ?」
フローラさんに指摘されて、フォルテがビクッと顔を上げる。
ここまで、精一杯気付かないフリをしていた私の努力は水泡に帰した。
「1人で泣いてたの?」
フローラさんの口調は咎めるでもなく、ただ優しく問いかけていた。
しばらく困ったようにふよふよと視線をさまよわせていたフォルテだったが、
観念したのかコクリと小さく頷く。
俯いたまま頷いたフォルテのふわふわのプラチナブロンドが
スープの中に浸かりそうになる。
「ふふっ。こうしてると、昔のラズちゃんを思い出すわねぇ」
え、私!?
慌ててフォルテからフローラさんに視線を移すと、
フローラさんは僅かに遠い目をしながら、なにやら楽しそうに微笑んでいる。
「もうね、家に来た時は酷かったのよ〜?」
クスクスと笑いをこぼしながら……いや、それってどうなんだろう。
笑われてるのは……昔の私? 今の私……??
「わぁぁ、わ、忘れて下さいーっっっ!!」
私がろくに覚えていないと言うのに、
一体どんな事をやらかしてしまったというのだろう。
覚えていないという事が、余計に恥ずかしく思えた。
話し始めてしまったフローラさんを止めきれず、
止む無く小さな私の失態を聞く事となる。
8年ほど前、日も落ちきった頃、連絡も無しに突然この家を訪問した私と父に、
フローラさんもクロスさんも、とても驚いたらしい。
その父は、私をこの家の玄関先に入れると踵を返して旅立つ始末で
1人置き去りにされた私は、どろどろの服のまま、玄関の隅っこに座り込んだっきり。
「もう、ご飯も食べてくれないし、
着替えだけでもさせようとするんだけど、あちこち引っかかれちゃって大変だったのよ〜」
大変だったと言うフローラさんは、大変だというよりも、おかしくて仕方がないという風に話している。
ああ、穴があったら入りたいというのはこういう時か……。
「せめて、クロスさんが居てくれれば、
ラズちゃんをひょいっと抱えてお風呂に連れて行ったりも出来たんでしょうけれどね〜……
あの人、ダニさんを追いかけて行っちゃったのよね〜」
「あ、ダニさんって言うのはラズちゃんのお父さんね」とフローラさんが慌ててフォルテに補足する。
それには、確かに覚えがある。
両親が若い頃同じPT(パーティー)だったというクロスさん、フローラさんの住むこの家には
それまでにも何度か遊びに来ることがあった。
いつも優しい笑顔の、クロスおじさんとフローラおばさん。
私より年上で面倒見の良いデュナお姉ちゃん。
ちょっと恐いけど、一緒によく遊んでくれたスカイ君。
あれ、なんだか今とは微妙にスカイの印象が違ったんだなぁ……。
当時14歳だったデュナに比べて、
11歳だったスカイには、まだまだ子供っぽさがあちこちに残っていた気がする。
ともかく、私の中でクロスさんはいつも爽やかな笑顔を纏った、穏やかな人だった。
そんな人が、凄い剣幕で父と怒鳴り合いをするものだから、
私は迂闊にも、私を置いて行こうとする父に縋る隙を失ってしまった。
『敵討ちだなんて、馬鹿な真似はよせ!』
『そんなこと言ってねぇだろ!!』
『じゃあどうして、こんな状態のラズちゃんを置いて出て行こうとする!?』
結局、皆の制止を振り切って出て行く父を、クロスさんが追って行ってしまったのだが
もしあの時、頭に血が上ってどうしようもない父だけが旅に出ていたのだとしたら
今頃私は両親共に失っていたのかも知れない。
いや……今思えば、復讐に我を忘れそうな父が
私をここに置いて行ってくれた事自体が奇跡的な気がしなくもないのだが、
当時の私には“母さんを奪った私を父さんは捨てて行った”みたいに感じたんだ……。
「途端に家は女子供だけでしょ?
しかも、2人が戻ってきた時には、PT復活の話が固まっちゃってたのよね〜」
うぐ。
デュナとスカイは、冒険者の両親を持つにしては珍しく、
生まれてこの方、この家から地元の子達と変わらず、学校に通って生活していた。
それは、小さい子供達を危険な旅に連れて行くべきでないという
クロスさんの考え方によるものなのだが、
そうは言っても、基本的に冒険者というのは、
継ぐような家業もなく、他に仕事もないため、仕方無しになる者が少なくなかったし
むしろ家すらないような者も珍しくなかった。
そんな中で、結婚を機に家を建て、
落ち着けるだけの財産を蓄えられたクロスさん達の実力はかなりのものだろう。
それでも、一生分というほどの蓄えには達していなかったのか
それとも、フローラさんの壊滅的な家事による出費が予想を上回ったのか……
なにはともあれ、クロスさんは、デュナ達がそれなりの歳になったら
もう一度冒険者に復帰するつもりだったらしい。
そのきっかけが、どうやら突発的な私の父との旅だったようだ。
なんだか、それが、
まるで私の父がデュナ達の父親を連れて行ってしまったように思えて
あの頃の私には、いや、今の私にとっても、酷く申し訳なかった。
「ラズ……お母さん、いなかったの……?」
ぽつり。とフォルテのか細い声。
ハッとそちらを見ると、フォルテはそのラズベリー色の瞳を僅かに滲ませていた。
そういえば……フォルテには私の母が亡くなっていた事を話していたっけ……?
確か、以前に両親の事を聞かれた時には
「親は、クロスさんと一緒にクエしてるよ」という返事で済ませてしまった気がする。
じっとこちらを伺う大きな瞳。
「う、うん……」
ぎくしゃくと返事をして頷く。
か、隠していたわけじゃないんだけど……なんだろう。この罪悪感は……。
「今のフォルテちゃんより2つくらい小さい時にね。
ファシーは……と、ラズちゃんのお母さんは、ラズちゃんの事を守って……」
いつもふわふわと話すフローラさんが、珍しく声のトーンを落とす。
私を守って母は死んだ。それは間違いではない言い方だろう。
しかし、それはつまり、だ。
私を守らなければ、私という荷物がなければ、
母は死ななかったという事でもあった。
ぐらり。と頭の隅で何かが揺れる。
反射的に、部屋を見渡す。
何を探しているんだろう。私は……。
何を探していたのかは分からないけれど、
目当てのものがなかったということだけは分かって、そっとテーブルに視線を落とす。
手元では、赤いスープがまだほんの少しだけ湯気をのぼらせていた。
久しぶりに自室で過ごす夜。
硬い地面の上で寝ることにも慣れてはいたけれど
やっぱり、ベッドはふかふかで気持ちがいい。
ここしばらく、私はフォルテの部屋の床で寝ていた。
最初はフォルテの体調が心配で、看病のつもりだったのだが、
そのうちそれは、フォルテを1人にしてしまうと
一晩中泣いて過ごしてしまうのではないかという心配に変わっていた。
夕食時のフローラさんの説法……途中までは思い出話だったそれは、
ふと気付けば、世の中にはもっと大変な子がいっぱいいるんだとかそういう話になっていて
最後には
『無い物を数えようとしても、キリがないんだから。
人はね。今あるものに感謝して生きないといけないのよ』
と、聖職者らしい説法でまとめられていた。
確かに、フローラさんが無い物を数え始めたら……って、そうではなくて。
ふんわりとしたフローラさんの微笑と共に、
『フォルテちゃんには、私も、ラズちゃんも、デュナもスカイもついてるでしょう?』
と、その大きな瞳を覗き込まれたフォルテの顔色が、あの瞬間、確かに変わった。
ハッと、何かに気付いたような顔をして固まってしまったフォルテを、フローラさんが満足そうに眺める。
フォルテが、辛い記憶より私達の事を選んでくれたのだと、私達は気付いていたけれど
それは、フォルテにとって意識的なことではなかったようだ。
人に言われて初めて、失った物から今傍にあるものへ目を向けられたのだろう。
フォルテがそうっとこちらを見上げる。
困ったような、どこか縋るような目に見つめられて、私はその小さな頭を優しく撫でた。
夕食の後片付けには、フォルテは食器を集めて、私の洗った食器を拭いて……と、お手伝いをしてくれた。
昨日や一昨日のように、ふいに固まったり、どこか遠くを見ていたりということもほとんど無く。
それを見て、今夜は自室で寝てもいいかな、と判断した。
ベッドの中に伸ばした手足が重く、鉛のように感じる。
連日床の上だったこともあり、3日前の疲れもまだ尾を引いているようだった。
目を閉じると、先ほどのフローラさんの話が頭に浮かぶ。
もう、あれから8年か……。早いものだなぁ……。
浮かんでは消えて行く思い出達に翻弄されながらも
少しずつ、少しずつ眠りの淵へ落ちてゆく。
初めてデュナ達と3人で冒険に出た日の事。
フォルテと出会ったのも、この日だった。
魔法使いの養成所での2年間。
あの頃の友達は今頃どんなPT(パーティー)に入ったのかな……。
スカイと学校に通っていた日々。
スカイが先に卒業するまで、3年間は毎朝2人で家を出て学校に向かってたなぁ。
その前は、1年弱、デュナも一緒に3人で、わいわい学校に行ってたんだっけ。
そして、父に連れられてこの家に来た日……。
ぼんやりと、あの日の事を思い返しながら、私は眠りについた。